僕たちはいつも、愛にむかって進んでいる。
今、日々の生活の中で一日に一時間以上
歩く人はとても少ないんじゃないだろうか?
“歩く”という行為をしばらく続けていると、僕はいつも身体と心がとても清々しくなり、調子が良くなる。
歩くことはいい 身体だけでなく 心を清めてくれる 日本人全員 毎日5km以上歩けば 世界は平和になるかもしれない
— 平和な地球の歩き方@濵田直翔 (@hamachan_peace) 2016, 1月 26
もし、今何か悩みごとがあったり、迷ってる方は、温かい恰好をしてしばらく外を歩くことをオススメしたい。
すると、気持ちがポジティブになったり、意外なアイディアが湧いてきたりする。
僕たちは、いつも愛に向かって進んでいる
地球は回転しながら(自転)太陽の周りを、ある一定の軌道でぐるぐる周っている(公転)と僕たちは習った。
でも、実は太陽自身も、実は旅をしているらしい。
つまり、地球は太陽の周りを公転しながら、旅のお供をしていることになる。
ということは、宇宙船地球号の乗組員である僕たちは、螺旋を描きながら旅をしているようだ。
↓この映像が分かりやすい。
太陽系チーム 宇宙船地球号で旅をする僕たち みんな宇宙空間に螺旋を描きながら 一人一人の感情や想いを世界に表現している 命そのものが素晴らしいアートで 全てが愛に向かって進んでいるような気がしてならない https://t.co/9Xz4pYRgKc
— 平和な地球の歩き方@濵田直翔 (@hamachan_peace) 2016, 1月 26
“螺旋”ときいて、ぼくはすぐに遺伝子を思い出した。
僕たちが抱いた感情や想いは、宇宙空間に刻まれていて、その一つ一つが表現されたアート。それが命なんだ。僕は、直感的にそう思っている。
自然の中にある、生命の多様性を見れば、いつも考えさせられる。
例えば、花の蜜を吸うミツバチの姿。
花は、甘い蜜を出し、ミツバチに与える。蜜を吸いに来たミツバチが、蜜を吸う代わりに花粉を運んで、めしべに受粉させる。
この営みによって、ミツバチは生かされ、花は新たな命を授かる。
よくある光景だけど、良く考えてみれば、非効率だ。
効率だけを求めて進化するならば、ミツバチは自分で蜜を出せる身体になればいいし、花も自分で勝手に受粉できるカタチになればいい。
なのに、“あえて”助け合う仕組みになっている。
ぼくたち人間だってそうだ。男女にわざわざ別れないで、自分一人で子孫を残せる仕組みに進化したらよかったんだ。そしたら、恋愛なんてめんどくさいことをする必要もなかったのに(笑)
ぼくは、ここに世界からのメッセージを感じる。
“効率の良い”方ではなく、なぜ“助けあったり”、自らを“犠牲”にしなければ、他の命を繋げることが出来ないようになっているのか?
僕たち一つ一つの命はすべて、本来一つだ。ということを表現しているのではないだろうか?
宇宙がビックバンで誕生して、いまも広がり続けているとしたら、宇宙の素は“一つの点”だったか、“無”だったはずだ。
ということは、この宇宙に存在するすべては、もともと一つだったんじゃないだろうか?
広がっていった宇宙は、きっとまた縮んで行く。
押し寄せてきた波が、また帰っていくように。吸ったら吐く、呼吸のように。
僕たちが“愛”と呼ぶもの。誰かに分かち合ったり、他のために尽くしたりすること。それは「あなたは、私であり、私はあなたです」を表現しているのじゃないだろうか?
ぼくたちはその姿を見たり、感じたりすると“感動”するようにできている。
つまり、“愛”は広がっている宇宙が、また一つに帰っていくためのプロセスなんだ。
そもそも、ぼくたち命が全て、一つ一つ違う命だという風に見えてしまうのは、それを思い出すための“宇宙のカラクリ”のような気がして仕方がない。
ぼくはピースウォークという、平和を祈る巡礼の旅でそれを学んだ。
様々な、民族、宗教、国家の仲間たちと平和を祈って歩く旅。
その一歩一歩に込めた、僕たちの想いは、すべて祈りとなって宇宙に刻まれていく。
人は、歩くことで宇宙の巡礼の旅に溶け込めるんじゃないだろうか。
もし、僕たち一人一人が、本当に「みんな一つだ」ということを想い出せたら
(宗教、国家、民族を超えて一緒に歩いたなかまたち)
(笑い合いながら砂漠に木を植えたなかまたち)
きっと、あっという間に、みんなが心から幸せに生きていける世界を創れる。
命の循環が続いていくのは、それを思い出すためのプロセス。
僕たちはいつも、愛に向かって進んでいる。
一歩ずつ、歩いていこう。
平和への旅は続く…